下流老人の実態

増え続けている下流老人。もうこの年で貧困から逃れる術は何もない。

下流な職歴

   

親父の職歴

高校卒業後、地元の福島県郡山市で建材メーカーに入社した。
24歳のときに会社の大宮営業所(現さいたま市)が新設され、
主任として栄転となった。
同期入社の中で最初に「主任」というポストをもらったそうで
いつも自慢していた。

大宮市に転勤して2年後、結婚した。
そして、長女、長男(私)の2人の子をもうけた。
高度成長期ということもあり、給料も良かったらしい。
33歳のときに大宮市に戸建を新築した。

ここまでは順調だった。
しかし、40歳のときに会社が倒産する。
すぐに職探しをせず、数ヶ月家でダラダラする。

そして41歳のとき、突然言い出した。

「パン屋を開業する」

母は猛反対した。
そんなに簡単ではないし、資金も十分ではない。
しかし、そんな母の言葉を聞く父ではなかった。

家から徒歩5分のところにある小さなテナントを借り、
パン屋を開業した。
当時9歳だった私は父の作るパンが好きだった。

社長と言い張る父(職歴 後半)

父はサラリーマンではなく、個人事業主となった。
ただ、自分のことを社長だといい、家族に自慢した。

パン屋は10年もすると売れ行きが悪くなった。
おそらく原因はいつも同じパンしか置いていないこと。
近所に美味しいパン屋が複数出店したことだ。
新しいパンの開発もせず、不景気だとか、
政治が悪いだとか不満ばかりを言っていた。

結局、52歳のときにパン屋は廃業した。
驚きはしなかった。
逆によく11年間も続けられたと思った。

多額の借金が残り、父は自己破産した。
姉はすでに結婚し、家出ていたが、
残された母と私の生活は悲惨だった。
家はなくなり、安いアパートでの生活を余儀なくされた。

それでもすぐには働かない父。
近所ではまだ社長だと言い張っていたようだ。
このとき21歳だった私は運輸業の会社に正社員で働いていた。
毎月7万円を家に入れていた。
母も正社員で働き必死で稼いだ。
もちろん、老後の蓄えを作るためだ。

自己破産から2年後、タクシーの運転手となる。
但し歩合給のため、たいして稼いではいない。
タクシーの仕事は54歳から65歳まで勤め、
定年退職をした。

コミュニケーション能力なし

父は昔からコミュニケーション能力が欠如していた。
パン屋を営んでいたときには、小麦粉の業者を怒鳴り散らし、
2~3の業者と契約を破棄した。
もともと安くて品質の良い強力粉を仕入れていたが、
倒産間近の頃には、低品質のものを高く買っていた。
業者を見下し、偉そうに振る舞っていたから相手にされなくなったのだ。

タクシー運転手のときも接客態度は最悪だった。
何度か会社の上司に電話で怒られているのを聞いた。
それでも全く反省する気はなさそうだった。

人と上手く接することができないことも
下流老人になったひとつの原因だといえる。

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