下流老人の実態

増え続けている下流老人。もうこの年で貧困から逃れる術は何もない。

東日本大震災によって下流老人になった男

      2016/04/01

東日本大震災の恐怖

2011年3月11日、東日本大震災による恐怖の映像は
今でも頭に残っている。

大きな津波が町を飲み込み、車や家までもがいとも簡単に
流された。
逃げ遅れた人達をあざ笑うかのように、波は多くの人間を
さらっていった。
海に停泊していた船をビルの屋上に押し上げるほどの威力が
津波にはあるのだと、自然の猛威に恐怖を覚えた。

あの恐怖からもう5年も経とうとしている。
震災の年は、多くの芸能人がボランティア活動をしていたが、
もうそのような行為をしている人は少数派だろう。

しかし、福島県の被災者の中には、今も苦しい生活から
抜け出せないでいる人も多くいる。
特に福島第一原発の近くに住んでいた人たちの被害は深刻だ。

原発近くに住んでいた人たちの多くは、
福島県の福島市や郡山市、二本松市、あるいは他県に移住している。
住み慣れた故郷を追われることになり、同情の余地はあるが、
避難生活等による精神的損害の賠償で1人あたり月10万円を
受け取ることができる。
さらには本来就労により稼いでいた所得も補償されている。

金銭的にはかなり手厚く保護されているのだ。

救われない人もいる

しかし、中には手厚い補償を受けられない人もいる。

郡山市に住む母の親戚の話であるが、
かなり悲惨な生活状況になっている。

その人は現在70代の男性で、妻との2人暮らし。
福島県庁で長年働いてきた人で、県内の転勤があったため、
ずっとアパートか借家で暮らしてきた。

そして、定年退職した翌年、生まれて初めて一軒家を建てた。
その場所が南相馬市だった。
大好きな海の近くに土地を買い、夫婦2人で済むには十分な
家を建てた。

悲劇はその10日後だった。
福島第一原発は爆発し、新居は立ち入り禁止となったのだ。
退職金のほとんどを使い購入した家は、
あっさりと使い物にならなくなった。

しかし、この夫婦の真の悲劇はこれからだった。
郡山市の借家の近くに年老いた母親がいたため、
南相馬市の家は別荘扱いにし、戸籍はその借家にあった。

補償金がでるのは、原発被害区域に戸籍のある住宅に
住む人たちが対象だったため、この夫婦には一切の補償金がなかった。
さらに、定年退職後であったため、賃金補償もない。

何もかも失い下流老人になった

この夫婦は短い期間で、大金と新居を失った。
今まで県庁の職員として働き、退職前は900万円の
給料があり、貧困生活をする要素は少なかった。

しかし、東日本大震災、そして原発事故により、
何もかも失い下流老人になってしまったのだ。

夫婦はそろってアルバイトをしながら生活をしているという。

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